100年後の王子と粉屋の娘

 

 

今日の朝食はゆで卵だった。

ノリタケのエッグスタンドに鎮座する真っ白な卵の頭を銀のスプーンの柄で回しながら叩く。鉢状に割れた殻を取り除けば、半熟の黄身が顔を出す。

さすが俺の日本。茹で加減も申し分ない。

ちゃんと分数を計って茹でているのだろう。その細やかな心遣いに朝から感動を覚える。

飯を終えたら、さっさと寝室に引きずり込んでやってもいいだろう。まぁ、俺が二度寝したいから、ついでに寝室に連れて行ってやるだけだ。その後、そういう流れになっても俺は紳士だから日本のリクエストに応えてやってもいい。

 

 

グシャ。

 

 

妄想の翼を羽ばたかせる俺の横で、不快な音がした。

またアメリカか。

「何やってんだ?行儀悪いぞ」

アメリカはゆで卵をスプーンで割らず、トースト用の皿のふちに叩いて割っている。

こんなマナー違反は教えた覚えがない。

「いいか、ゆで卵ひとつとっても、テーブルマナーというものがあるんだ。ここは日本の家だから守らなくても良いってわけにはいかねぇだろ。

お前、公式の朝食会ではきちんとやっているか?」

「…卵なんて美味しく食べればいいじゃないか」

「そういうものじゃなくて」

ゴンゴン。

鈍い音が説教を中断させた。

アメリカの広い額に、卵がぶつけられている。

釘を打つかのように規則的に、ゆで卵がぶつけられている。

「……日本、お前何やってるんだ?」

「いや、アメリカさんのおでこで卵を割ったら、美味しそうですから」

日本が無表情で応える。

ひたすらに打つその手つきは、割るというよりも、ゆで卵でアメリカの額を叩いているというか、殴っているようにしか見えなかった。

「ここは欧州じゃないですから、ゆで卵の割り方にマナーなどありません」

「はは!面白いぞ!」

アメリカも負けじと二つ目のゆで卵に手を伸ばし、日本の額に当てる。

「頑固じいさんの石頭はゆで卵割るのにぴったりだぞ!」

「おやおや若造の頭って、音がよく響きますね。こんこんこん。

あー、中はうまい具合に空っぽなんでしょうね。こんこんこん」

「……頭でゆで卵が割れるわけねぇだろ」

俺の忠告を誰も聞かない。

「ぬおおおお。ジジイ負けませんよ。アメリカさんより早く卵を割ってやります!

こんこんこんこん、そら!」

「じいちゃん、俺が勝ったら何くれる?」

「ええい、じいちゃんの名にかけて、もったいないですがキュアプリオールスター大集合フィギュアを差し上げます!

こんこんこんこん、ええい!」

「あんまり嬉しくないんだぞ!俺ロリコンじゃないもん、じいちゃん!」

俺が卵を食べ終えた後も、二人はゆで卵をぶつけあっていた。

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庭仕事を終え、昼食に戻った俺を待っていたのは鍋を抱えた日本だった。

鍋はインスタントヌードルで満たされていた。マクドナルドを愛する俺だが、インスタントヌードルみたいな現代的な食品は好きではなかった。料理を趣味とする者としては、手抜きを追及したその本質に対しては考えるところが結構ある。あんなもの、人間の絆を分断し、社会を崩壊に導く悪魔の食い物だ。

「日本、そんなモノ食うなよ」

「お恥ずかしながら、時々無性に食べたくなるんです。

お目汚しですがお許しくださいな」

日本は遠慮がちに笑い、せっかくの気遣いをやりすごした。

「料理が面倒なら俺が作ってやってもいいんだぞ」

「わーい、サッポロ二番だ!」

ポチのシャンプーを終えたアメリカが会話に割り込んできた。真っ白になった仔犬を抱え、いきなり甲高い声で歌い始める。

「キャベツ、しいたけにーんじん」

「たっぷり野菜をいかがです」

「おん!」

アメリカの歌に日本も同調し、ポチも尻尾でリズムを取る。三人はこの歌をよく知っているみたいだが、俺は覚えてはいなかった。

「アメリカさん、じゃあ、どんぶりとお箸を二つずつ持ってきて下さいな」

「DDDD」

鼻歌交じりで運ばれた食器は日本とアメリカの席の前に置かれる。

「……俺は?」

あ、ひょっとして日本怒っている?

お気に入りのメニューをけなされて怒っている?

食べ物が関わると豹変する日本のことだから、食事抜きぐらいの嫌がらせは当然かもしれない。

「あ、イギリスさんにはですね」

日本は食器棚から塗りの弁当箱を取り出した。

箱の上には有名な料亭の名前の入った割り箸が留められている。

「インスタント食品なんかお出しできませんから、朝のうちに出前を取って置きました」

「いただきます!」

鍋に刺さった菜箸を器用に使って、日本がアメリカにラーメンを取り分ける。アメリカはまた奇妙な歌を歌っていた。

「ああもう、この炒め野菜との組み合わせがたまらないですねぇ。

日曜のお昼はコレに限ります」

「だよね、だよね!

チキンラーメンもいいけど、アレはおやつ!」

「そうです!先生!アレはおやつです!」

京野菜の煮物は薄味で旨いはずなのだが、何だか砂を噛んでいるような気がした。

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昼食が終わると、日本とアメリカは出かけていった。

「ボーカロイドのライブですけど、イギリスさんはご関心ないですよね」

当然俺はお留守番。晩御飯としてカレーライスが用意してあったが、給仕もない飯なんか美味くはなかった。

テレビ映画もつまらない。リアリティのかけらもないハリウッド映画なんか、子供が観るものだ。

やることもないから、俺は10時には床についた。きっと日本が帰ってくるのは終電だ。アメリカと肩を組んで、上機嫌に歌いながら帰ってきやがるんだ。

そんなの、俺の日本じゃない。

最近、俺は日本との距離を感じることがあった。

昔みたいに文化の違いや交流の歴史の短さが原因の誤解とは違う。

アメリカに破れてから日本はどんどん変わっていった。

手抜き料理を作る。マナー違反の行為やアニメの美少女にうつつを抜かす。こんなこと、昔の日本だったらやらなかったと思う。粉屋の娘だとか揶揄されても、日本は俺の選んだ姫君なのだ。

でも、牙を抜かれ飼いならされた日本は、嬉々としてそういう幼稚な真似をしやがるようになった。しかも、どうやらアメリカに媚びて嫌々遊びに付き合っているわけでもなさそうだ。

国民が変わって文化や価値観が変われば、その総体である日本が変わってしまっても当然だ。

今はきっと、俺よりもアメリカのほうが日本に近い。地理的な距離や政治的な距離だけでなく、文化も趣味もアメリカのほうが日本を知っていて、理解している。

そして、俺と日本の距離は広がって行くばかりだ。

いつか、日本は心の底からアメリカを愛しだすのかもしれない。それを国民とアメリカが望むのなら。

俺は最早、百年前に一瞬だけ同盟を組んだ、ただの亡霊に過ぎないのだから。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

深夜。何十回目の寝返りを打ったとき、玄関の扉が開く音がした。

「イギリスさん、ただいま帰りましたぁ」

弾んだ声が近づいてくる。

「もうお休みですか?」

覗き込まれる気配を感じながらも、俺は目をぎゅっと閉じて狸寝入りを決め込んだ。

今日一日、アメリカとばかりふざけていた日本なんか大嫌いだ。

俺に黙って変わっていく日本なんかどこかへ行けばいい。

「イギリスさん」

不意に頬に湿った感触。

「イギリスさんが王子様じゃなかったら、もっと楽しいのに。

ライブ、一緒に行きたかったです」

くすり、と小さな笑い声。

俺は目を閉じたままだから、日本の表情は見えなかった。でも、なんとなくわかる。

こんな声を出す時はいつも寂しそうに唇だけで笑うんだ。

「ゆで卵割りもしたかったですし、サッポロニ番も一緒に食べたかったです。

いつまでも私達、王子と粉屋の娘のままですね」

どくり。

心臓が凍りついた。

「あなたは今でも王子様でいらっしゃるのに、私は心がすっかり汚れてしまいました。

あなたからどんどん、遠ざかってしまいますね」

 胸が痛い。

 今まで、アメリカと戯れる日本にイラついてばかりで、恋人に趣味や振る舞いを見下げられる日本の気持ちなんか考えたこともなかった。

 確かに変化したところがあっても日本の本質は昔のままなのに、繋いだ手に安心しきった俺は目を向けていなかった。俺は姫君の日本にだけ恋をしたのではなくて、好奇心が強くて働き者で、自虐的な粉屋の娘にも恋をしたのに、嫉妬と平穏が俺の目を濁らせていた。

 粉屋の娘は今だって眼差しは全く変わっていない。寂しさを素直に言えない所も昔のままだ。

なのに、自分の尺度で相手を測って勝手にふてくされて、その誠意を疑いまでした俺は、バカだ。

「イギリスさん。

私、離婚されても仕方がなかったですね。

お姫様でもないし、もう力もありません」

衣擦れの音がした。

日本が部屋を出て行こうとする。

こんな気持ちで日本を眠らせたら、俺は自分を許さない。

「離婚したつもりはないぞ」

蒲団に入ったままで、ブルーのシャツの背中に話しかけた。

「粉屋の娘なら、粉屋の仕事を王子に教えればいいだけだろ。王子はお姫様じゃなくて粉屋の娘に惚れたんだからな」

襖にかけられた手が止まる。

「ゆで卵だってこれからは一緒に額で割って食べるし、インスタントフードだってお前の手料理なら食べてやってもいい。

だから、離婚して当然だとか言うなよ」

「イギリスさん」

振り向いたのは、はにかんだ笑顔。

大好きな恋人に手を伸ばせば、日本はするりと蒲団に潜り込んできた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「イギリスさん。私の趣味をもっと知ってくださいませんか?」

小さな頭を俺の胸に載せ、日本が上目遣いでこちらを見上げた。吸い込まれるような瞳に逆らえるわけもなく、俺は大きくうなずく。

「まぁ、別に、構わねぇよ」

「嬉しいです」

にっこりとほころぶ笑顔は、俺の心まで明るくする。この笑顔を全部独り占めしたい。今までアメリカだけが見てきたブラックボックスを、これからは俺も暴いてやる。アメリカが見逃していた隅の小さなモノも全て、全部丸ごと俺のものにしてやる。

今朝アメリカが卵を割った額に唇を落とせば、日本は更に大きな笑顔をくれた。

「じゃあ、来週、イベントがあるのですが一緒に行きましょうね」

「…何のイベントだ?」

「美少女戦士キュアプリの映画です!」

日本の提案は俺の想像以上のシロモノだった。

身構えていたけれど、さすがにそれは度肝を抜かれる。

『美少女戦士キュアプリ』とは、たぶん、日曜朝に日本が正座して鑑賞しているアニメ。

どうみても対象年齢12歳以下・対象性別女児のあれ。

ビギナーにはきつすぎないか。

しかも、映画ってことは、きっと母娘連れの集団の中に放り込まれるということだろ?

「それって、あのさ、子供…というか、女の子向けの映画だろ。

普通大人、しかも男は行かないよな?」

「…イギリスさん、嘘つくんですか?」

張り詰めた声が俺の胸をぎゅっとつかんだ。

戦争中、もし日本を取り戻せたら、もう決して悲しませないと誓ったんだ。

さっきだってその誓いを新たにしたばかりだ。

ああ、日本に涙なんか流させるものか。そのために俺がどんな恥を掻いても。

「そんなわけないだろ!」

「ああ、アメリカさんも行くの嫌がっているのですが、さすがイギリスさん、私の彼氏だけありますね。

愛を感じちゃいます。あは」

額を胸に擦り付ける仕草、何だかキラキラした瞳、弾んだ声。

騙されているのか?俺?

この可愛い顔をした妖怪にたぶらかされているのか?

映画館で一緒に恥をかくヤツが欲しいだけじゃないのか?

それでも。

「イギリスさん、大好きです」

珍しい日本からのキス。

その柔らかさは、疑念も来週への恐怖も吹き飛ばすほど甘いものだった。

 

この後、英は知れば知るほど日本の趣味が理解できなくて苦しみます。おまけは裏へ(R18)。
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